2014年07月15日

経済フリーからの景色

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ボクは34歳になると同時に「経済フリー」を手に入れた。ボクはこの4年間の経済的戦いについに勝ったのだ。香港ベースでついに世界を自由に飛び回れるレベルになった。お金の事は全く心配しなくていいようになった。そしてその自由を手にいれたボクは今何を思うのか?

 「手に入れて当たり前だ」と思う。なので超嬉しい!とか死ぬ程嬉しい!とは思っていないし「にやり」ともしていないし「してやったぜ。」とも思わない。もしもっと早いうちにこの経済的自由が手に入っていたら「にやり」としていたかもしれないが年齢も年齢だ。逆に今この経済フリーが手に入っていないのなら「危険」とさえ思える。35歳後は独立している状況か企業にぶら下がっている状況でないと普通生計が立てられないからだ。

 たった4年間の戦いでお金の事は全く心配しなくていいレベルになれたのなら超運がいいと思う。なぜなら大部分の人がお金を稼ぐ為に生活に追われている状況。そして多くの人がやりたくない仕事をやりたくもないのに「仕方なく」しているか仕事にやりがいを感じなくなっている状況。ラットレースから抜け出ていない。でもボクは抜けられた。今34歳。早いようで遅いような気もする。でも本当に抜けられた。

 信じられないのは、29歳のあの経済的苦悩を必ず打ち破ると心に決めた日がまるで「昨日」の事のようだからだ。それほど時間の流れがはやい。なんて事だろうか。29歳だったはずなのに気づいたら「34歳。」ボクの4年間はあっという間だった。この4年間人間的な関わりより頭の中は「経済」の事をいつも気にしていた。自然な形で「お酒、タバコ、クラブ、遊び、パーティー、イベント」などをしている友人から離れていった。

 もし友人関係を保つ為にこれらの事をし続けなければいけないのなら「そんな友人関係いらない。」と思えた。ボクはそういう連中からこつ然と姿を消した。「あれ?トシカズはどうなったんだろう?一体どこにいるんだろう?」という感じだろう。別にそんな友人が嫌いな訳ではない。ボクの生活の目的にそぐわないだけだ。

 ボクは近年そういった「パーティー」意識をもつ昔ながらの友人の1人に偶然道ばたで再会した。彼は4年前とほとんど変わっていなかった。いまだに稼いではお金を浪費する生活を送っていた。そして体は「酒、タバコ、マリファナ、粉」などで影響で昔よりやせこけていた。そしてその友人に連れられてまたもう1人の昔の友人に会った。そのもう1人の友人の方がひどかった。4年前あれだけ図体がでかかったのに信じられないぐらい痩せている。

 そして現在彼の体は麻薬のせいでボロボロになっている為治療薬を処方しなければいけない状況になっている。そして驚くべき事に大量の治療薬を買い込んでいるのにも関わらず「粉末麻薬」を続けている。ボクは彼らのやっている事を彼らの前で否定はしない。しかし彼らと関わっていたら水と油の状況で良好な関係はどっちにせよ築けない。やつらと居ると面白いし楽しいがこれでは「お酒、麻薬、娯楽」に飲まれてしまっているといった感じだ。

 完全に「麻薬中毒者」になってしまっている。「パーティーライフ」はもはや彼らの生活の一部なので将来的にも関わりようがない。それは会えば彼らは酒を飲み。会えば麻薬をやり。会えばクラブに遊びにいくからだ。ボクは健全な関わりをもちたい。それは会えば食事をし会えばスポーツをし会えばカフェで語る。

 2年ほど前「母」はボクにこう言っていた。「あなたは変わった。」「以前と違う。」「以前のあなたの方が良かった。」と。これはあまり良い意味ではなかった。お金の事ばかり考えているお金主義になったというようなニュアンスで言ったのだ。ボクは人間関係も経済もバランス良くなんて当時考えられなかった。

 当時「ラットレース」から抜け出るしかないという意識だけだったのでお金中心主義に変わったのは間違いなかった。でもボクは言いたい。何が悪いのか?と。一生ダラダラとお金の事で頭を悩ませたりお金の心配をするより早くお金の為に動いてお金の問題をいち早く解決した方がいいと確信していた。だからお金を増やす為の追求に神経を使ってきた。そしてあっという間に過ぎた4年間を振り返ってこう思う。。。。

 「この選択は間違っていなかった。」

 ボクは今経済フリーを手に入れた。ボクは今経済フリーを手にいれた訳だけど「豪遊」するという悪いパターンにはまる事は絶対ありえない。もう既に「お金があれば消費する」という悪循環のパターンからとっくに抜け出ているのでお金がどんどん入ってきてもほとんど消費せず手元にとどめていられる。しかもほとんどなんの苦悩もなくだ。なぜか?節約の習慣化のおかげだ。つまり。。。

 「無駄なものに一切お金をかけず本当に必要最低限にしかお金を使わない。」

 という習慣だ。ボクにはもともと物欲がない。ボクが欲しいのは「自由な時間」と「自由に動き回れるお金」の2つだけだ。だから大きなプール付きマンションに住みたいとか超かっこいい車に乗りたいとか超一流ブランド品に囲まれて暮らしたいとか全くない。だからボクがメディアの現在流行のものに翻弄される事は一切無い。

 じゃあ腐る程お金があったらそういう所に住みたくないのか?ときかれたら?ボクはこう答えたい。そういう所に住める選択肢があっても住まない可能性が十分にある。ボクはもともと広い所に住むのは好きじゃない。狭い所の方が好きだ。広いと落ち着かない。もともと家でずっとゆったりするタイプの人間ではないし物に固執しないので「家」にも固執しない。

 これはおそらくTCK「第三文化の子供」という自分の身分と少なからず関係しているのかもしれない。つまり成長と共に「場所移動」ばかりしていた為にそれが逆に当たり前になっているところがある。つまり1つの場所にとどまっていないのが当たり前だという事は1つの場所1つの人間関係に完全に同化する事も無い。そう考えると家や物などに固執するわけもないのだ。

 だからボクはいつも狭い家でそこをただの一時的な寝床という感覚で接しているのだと思う。とりあえず経済フリーになってもまだピンと来るものがない。それは経済フリーになっただけで本当にやりたい事がまだ実現されていないからだ。つまり経済フリーになる事が本来の目的ではない。これからは確実にボクが願っているライフスタイルをキープする事に時間を投球するときがやってきた。

 つまり「投資」「世界文化吸収」「ビジネス」という3つの分野の拡大だ。この3つの分野を拡大し続け世界中を移動し続けながら暮らすというライフスタイルだ。ボクはこの3つの分野を拡大出来る切符を今ようやく手にしたという訳だ。この切符が目的じゃない。「拡大」する事というプロセスパターンの中で人生を歩む事が目的だった。

 ここでもしこの経済フリーという名の切符を手にする事だけが人生の目的だったなら、おそらく明日から外で遊びまくるかもしれない。ボクにとって経済フリーを手に入れるという事は「大きな達成」であると同時に「プロセスの一部」なのだ。



posted by 世界放浪異端児BS at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済フリーからの景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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